当ページのリンクには広告が含まれています。

安次富浩とは何者?学歴・経歴とその人物像を調査!辺野古の共同顧問

スポンサードリンク

 

 

今回は、沖縄の基地問題を語るうえでよく名前が出てくる人物、

安次富浩(あしとみ ひろし)さんの、
学歴・経歴やその人物像などについて一緒に見ていきましょう。

「反基地運動の人」と聞くと、
ちょっと構えてしまう方もいるかもしれませんが、

経歴をたどっていくと、
いわゆるイメージとは少し違う側面も見えてきます。

良かったら最後までお付き合いくださいね。

 


安次富浩とは何者か?

安次富浩:琉球新報より

まずは出身・年齢

安次富浩さんの生年は1946年6月、
東京は墨田区の生まれとされています。

「安次富」という姓がすでに沖縄っぽいので、
墨田区とは意外な感じがしますが、

どうもお父さんが沖縄出身で、当時は東京に住まわれていたようですね。
あるきっかけで、安次富さんの故郷に移り住んだという訳です。

そして年齢は2026年3月時点で、79歳、
今年の誕生日で80歳ということになるかと思います。

長く活動されている方なので、
「ずっと第一線にいたんだなあ」と感じる年齢ですよね。

 

学歴は?

学歴については、

  • 沖縄県那覇市の興南高校
  • 琉球大学 法文学部史学科に入学
  • 1970年:同学部を卒業

という情報がありました。
興南高校と言えば1962年創立の歴史ある中高一貫の私立校、
今では甲子園の常連校として有名ですよね。

そして琉球大学といえば、当時の沖縄における中心的な教育機関です。
安次富浩さん、かなりしっかりとした教育を受けてきたと考えられます。

とは言えこの時期、沖縄はまだ日本復帰前。この時代背景を考えると、
学生生活そのものがかなり特別なものだったはずです。

ここは少し想像も入りますが、1960年代後半といえば、
ベトナム戦争の影響で沖縄の基地負担が大きかった時期です。

そういう環境の中で学生時代を過ごしていれば、
基地問題のようなテーマに対してとてもセンシティブな立場で、

何かしら考える機会があった可能性は高そうですよね。

「気づいたら関わっていた」というより、
「関わらざるを得ない環境だった」

というほうが近いのかもしれません。

 

スポンサードリンク

安次富浩の経歴

安次富浩:NetIBNewsより

大学卒業後の歩み

ここがちょっと意外なポイントです。

安次富浩さんは、いきなり反基地運動に入ったわけではありません。
まずは労働運動の分野で活動していました。

安次富浩さんの主な経歴をたどると、

  • 1972年:沖縄県庁に入庁
  • 自治労北部総支部 常任委員長
  • 一坪反戦地主会 北部ブロック代表幹事
  • 1997年:ヘリ基地反対協議会の共同代表に就任
  • 2007年:沖縄県庁を定年退職
  • 2021年:共同代表を退任し、顧問へ

という流れになっています。

こうして並べてみると、
「ずっと同じ場所で活動してきた」

というよりは、
少しずつ関わるテーマが広がっていった印象がありますね。

 

一坪反戦地主会って何?という話

ここで出てくる「一坪反戦地主会」、
ちょっと名前が気になりますよね。

簡単にいうと、土地の所有権を細かく分けて共有し、
「基地として使わせない」という形で抵抗する運動です。

つまり安次富浩さんは、

  • 労働の問題
  • 土地の問題
  • 基地の問題

このあたりを横断しながら関わってきたことになります。

「反対する人」というよりは、
「どうやって現実に対処するか」

を考えてきたタイプ、という見方もできそうです。

 

スポンサードリンク

安次富浩の人物像|前に出るタイプというより“支える側”

安次富浩さんは長年共同代表を務めてきたという事実からも分かりますが、
いわゆるカリスマ的にぐいぐい引っ張るタイプというよりは、

現場を支え続けるタイプのリーダー、という印象を受けます。

こういう役割って、実は一番大変だったりしますよね。
目立ちすぎず、でもいないと回らない、みたいな。

組織に一人はいてほしい存在、
と言ったらちょっと分かりやすいでしょうか。

 

ちょっと人間味を感じるエピソード

2021年に安次富浩さんが共同代表を退任した理由は「家庭の事情」とされています。
この一言、シンプルなんですが妙にリアルですよね。

長年、社会的な活動に関わってきた方が、
最後は家庭を理由に一歩引くというのは、

なんだか少しホッとするというか、
「ああ、この人も普通の生活の中にいるんだな」

と感じさせられます。

ずっと最前線に立ち続けるのって、
やっぱり簡単なことではないですからね。

 

活動の中心はやはり辺野古問題

とは言え、安次富浩さんの活動で外せないのは、
やはり辺野古の新基地建設をめぐる問題です。

1997年にヘリ基地反対協議会が結成されて以降、
長い期間にわたって関わってきました。

計算してみると、25年以上になります。

「気づいたら四半世紀」というやつですね。
時間の重みを感じます。

 

少しだけ個人的な感想

ここは完全に個人的な印象ですが、
安次富浩さんの経歴を見ていると、

「最初から強い思想があって突き進んだ」というよりは、
環境がそうさせた、或いは目の前の問題に関わり続けた結果、

今の立場にいる、という感じがします。

労働運動から始まり、土地問題に関わり、そして基地問題へ。
どれも生活に密接したテーマです。

そう考えると安次富浩さんは、「特別な誰か」というより、
「その時代、その場所にいた一人の人が積み重ねてきた結果」

として見るほうが、しっくりくる気もします。

 

スポンサードリンク

まとめ|安次富浩とは何者か

辺野古沖の転覆事故で謝罪する反対協(安次富浩は右から二人目):沖縄タイムスより

最後に安次富浩さんという人物が何者か?についてまとめると、

  • 琉球大学で学んだ沖縄の人物
  • 労働運動から活動をスタート
  • 土地問題・基地問題へと関わりを広げる
  • 約25年にわたり運動の中心に関わる
  • 現在は代表を退き、顧問として活動を続けている

という流れになります。

こうして見てみると、安次富浩さんはいわゆる「目立つリーダー像」とは少し違って、
地道に関わり続けてきたタイプの方だなという気がします。

派手なエピソードがあるわけではないけれど、
その分、時間が積み重なって安次富浩という人物像になっている、そんな印象です。

これからも沖縄の基地問題と共に、安次富浩さんに注目していきたいと思います。

今日もありがとうございました。

 


コメント

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました