
今回のNHK SONGSには俳優で歌手の中村雅俊(なかむらまさとし)さんが登場です!
昭和・平成を通じて長く愛されてきた中村雅俊さんの経歴や女優で妻(嫁)の五十嵐淳子さんとの結婚エピソード・実はデキ婚だった!そして若い頃のちょっと泥臭いエピソードなど、ちょっと見ていこうかと思います。
良かったら最後までお付き合いくださいね!
中村雅俊ざっくりプロフィール
中村雅俊さんは1951年生まれ。慶應義塾大学出身。
大学在学中に文学座附属演劇研究所に入り、在学中に俳優デビューが決まるという“学生→俳優”の早めの分岐を経験します。
中村雅俊さんは卒業と主演デビューのスケジュール調整があったという話も残っていて、大学も現場も大慌てだった様子が目に浮かびますね。
中村雅俊 『われら青春!』でドラマ主演!
中村雅俊さんは1974年に放送されたテレビドラマ『われら青春!』で早々に主演に抜擢され、一気に注目を浴びます。
同年に出したメジャーデビュー・シングル「ふれあい」も「われら青春!」の挿入歌となり、ロングヒットとともに俳優と歌手の両輪でのブレイクを果たしました。

若い頃の中村雅俊(トレードマークのベルボトムとゲタ履き):朝日新聞より
ドラマでの“弾き語り”シーンがそのまま世に出るような形でヒットしたのが印象的です。「演技も出来るし歌もうたえる」って、ファン目線だと反則級の魅力ですよね。
昭和の青春ドラマにぴったりハマる、爽やかなルックスと声で一代ブームを作ったのは事実です。
中村雅俊の若い頃のエピソード
僕が特に好きなのは、中村雅俊さんの大学〜研究生時代の若い頃のエピソードです。
仲間の自主制作映画に中村雅俊さんは主題歌を提供したのですが、その時の報酬が「ビール1本とハンバーグライス」だった、という話なんです。

若い頃の中村雅俊:デイリー新潮より
報酬は控えめでも、「自分の曲が劇場で流れた」という満足感が何よりの宝になった――その喜びが伝わってくるのがグッときます。
こういう話には、若さの熱と泥臭さが詰まっていて、なんだか応援したくなりますよね。
中村雅俊さんはこの若い頃の時期に「曲を作る楽しさ」を確信していたことが、その後、俳優業と歌手活動を両立する下地になったのは間違いありません。
中村雅俊・五十嵐淳子の馴れ初め:実はデキ婚だった!
中村雅俊さんは1977年、26歳の誕生日(2月1日)に女優・五十嵐淳子(いがらしじゅんこ)さんと結婚されました。
馴れ初めは1975年放送のドラマ「俺たちの勲章」での共演がきっかけと言われています。

1970年の五十嵐淳子(当時五十嵐じゅん):JIJI.comより
14話にゲスト出演した五十嵐淳子さんは、最初は同じく共演の松田優作さんやスタッフらとも一緒に食事などに行っていたそうなんですが、いつのまにか中村雅俊さんと2人だけで出かけるようになったというんですね(笑)
中村雅俊さん、五十嵐淳子さん、二人とも気楽なジーンズ姿で居酒屋や焼き鳥屋、ラーメンの屋台などに行っていて、あまりにも無防備だったため恋愛報道にもならなかったそうです。
1976年4月公開の映画「凍河」で中村雅俊さんと五十嵐淳子さんは再び恋人役で共演し、二人の関係が再度注目されたとか。
そんな中、中村雅俊さんは母親との旅行先で偶然を装って五十嵐淳子さんを紹介し、とても気に入られたと言うエピソードも残っていますね。
そして満を持して1976年12月、中村雅俊さんは五十嵐淳子さんとの婚約会見、翌2月に挙式、なんと7月には長男誕生というスピードぶり(笑)
今ではさして珍しくもないデキ婚ですが、中村雅俊さんは当時、「確かに早すぎるといえば早いんですが…」としきりに汗をふきながら喜びを語っていたそうなんですね。
そして現在では、中村雅俊さんと妻・五十嵐淳子さんは1男3女を授かり、娘の中村里砂さんはモデル・タレントとしても知られています。
家族が芸能やメディアに関係することが多く、親子でメディアに顔を出す場面も見られます。
長男の中村俊太さんは俳優でしたが、大麻所持で逮捕後(起訴猶予処分)、事務所を解雇され俳優を引退しています。
現在はゴルフインストラクターとして活動されているという事ですね。
中村雅俊のデキ婚とファンクラブ会員激減エピソード!?
そしてこれは当時のアイドルあるあるネタ、「人気絶頂でのアイドル結婚→ファン激減」というパターン、中村雅俊さんも例外では無かったとか。
中村雅俊さんの結婚が話題になった当時は1万人ほどいたファンクラブ会員数が1,800人に激減したと報じられているんですね。

結婚式の中村雅俊と五十嵐淳子:スポニチアネックスより
1970年代のアイドル文化では「独身であること」がファン心理にとって重要だったため、人気アイドルが結婚すると幻滅されやすかったんですね。
現在ではアイドルが結婚しても、ファンとしてともにお祝いする、という文化になっていますが、1970年代当時は「ありえない!」話だったんでしょう。
さらに中村雅俊さんは当時ではまだ珍しい「デキ婚」でしたから尚更(笑)
当時のスポーツ紙には『裏切り者雅俊』という過激な見出しが踊るほど、事務所や周囲からも反対されたそうです。
今となってはちょっとした笑い話ですよね(笑)
中村雅俊の若い頃とデキ婚まとめ
というわけで、中村雅俊さんの若い頃のエピソード、五十嵐淳子さんとの馴れ初め・実はデキ婚!?について見てきましたが、いかがだったでしょうか?
- 中村雅俊ざっくりプロフィール:中村雅俊さんは慶應義塾大学在学中から文学座附属演劇研究所に入り、在学中から俳優デビューしていたんですね。
- 中村雅俊「われら青春!」でドラマ主演!:そして中村雅俊さんは1974年のドラマ「われら青春!」で主役抜擢、挿入歌「ふれあい」もミリオンセラーと爆発的な人気を誇りまました。
- 中村雅俊の若い頃のエピソード:中村雅俊さんの学生らしいエピソードが、友人の自主制作映画に自身の楽曲を提供した報酬が「ビール1本とハンバーグライス」。良いですよねコレ。いかにもお金のない学生が青春を謳歌している感ですよ!
- 中村雅俊・五十嵐淳子の馴れ初め:実はデキ婚だった!:ドラマでの共演が縁で交際を始めた中村雅俊さんと五十嵐淳子さん、当初はオープンすぎて疑われず、報道が再燃したかと思えばあっという間にデキ婚という二人。1970年代の当時としては衝撃でした!
- 中村雅俊のデキ婚とファンクラブ会員激減エピソード!?:そしてデキ婚の衝撃そのままに中村雅俊ファンクラブ会員の激減!当時としてはまぁ仕方のない事だったのかも知れません(笑)
中村雅俊さんって、年を経ても「等身大の男」らしさが残る方だなと感じます。
若い頃の“夢中さ”を忘れず、同時に家族を大切にする人柄がインタビューからも伝わってきますよね。
結婚当時のファンクラブ会員の激減も、「家族をとる」と決めた自分の決断に後悔はなかったそう。
そんな中村雅俊さんだからこそ、今でも根強いファンに囲まれているんでしょうね。
中村雅俊さんのような、若い頃の華やかさと、役者としての地道な仕事ぶり――その両方を持ち合わせている方というのは希少な存在です。
中村雅俊という昭和の“青春スター”が年輪を重ねていく様子を見守るのは、何だか温かい気持ちになりますよね。
中村雅俊さん、まだまだ応援していきますよ!頑張ってください!
今日もありがとうございました!


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