
人気の居酒屋チェーン『串カツ田中』の創業者・貫啓二さんが、2026年9月25日放送の「ガイアの夜明け」に出演して話題になっています。
実は貫さん、そのワイルドかつ端正なルックスから「経営者界のトヨエツ」と例えられることがあるそうなんです。
SNSでは「串カツ田中の社長、豊川悦司に似てる!」という声も多く、確かにお二人とも大阪出身で高身長、大人の色気を感じさせる雰囲気が重なりますよね。
この記事では、そんな貫啓二さんの生い立ちや経歴、そして失敗から始まった成功ストーリーを詳しくまとめました。
気になる方は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね!
串カツ田中・貫啓二社長がトヨエツ似で話題!ガイアの夜明けに出演

「串カツ田中」社長・貫啓二:PRESIDENT Onlineより

「トヨエツ」こと俳優の豊川悦司:MOVIE WALKER PRESSより
2026年9月25日(金)夜10時15分から放送されたテレビ東京系列「ガイアの夜明け」では、串カツ田中の大改革の舞台裏が取り上げられました。
番組では「脱・”串カツ田中”で勝つ!」と題し、新商品開発や値下げ戦略など、「串カツ田中」始まって以来のリブランディングに挑む姿が密着取材されました。
貫啓二さんは1971年生まれの55歳。身長は180cm以上あると言われ、中学2年生の時点ですでに180cmを超えていたそうです。一方、豊川悦司さんも186cmの長身で、ともに大阪出身というのも共通点ですね。
貫さんは起業前の10年間「トヨタ輸送」というトヨタグループの会社に勤めていたそう。豊川悦司さんもかつて「トヨタクラウン」のCMに出演していたこともあり、ある意味での「トヨタ」繋がりも面白い偶然ですよね!
ちなみに僕も、貫啓二さんのお名前が分からなかった時、貫さんの顔画像をGoogle AIに貼って「『串カツ田中』の社長の名前を教えて」と入力したんです。そうしたらGoogleさん、
「この方は俳優の豊川悦司さんです。串カツ田中の社長ではありません」
という回答。「いやいやいや、違うやろ!」と思わずPCに向かって突っ込んでしまいました(笑)
AIも騙せるほど、貫啓二さんとトヨエツさんは似ているということですね!
貫啓二のWikiプロフィールと生い立ち

2018年「カンブリア宮殿」出演時の貫啓二:テレ東公式サイトより
年齢や生年月日・出身と学歴
貫啓二さんは1971年1月27日生まれで、2026年9月現在で55歳です。
出身地は大阪府三島郡島本町。学歴は大阪府立島本高等学校卒業で、大学には進学していません。
町工場の両親のもとで育った少年時代
貫さんの父親は宮崎県延岡市出身の町工場の金型職人でした。仕事がなく家族で大阪に来たという背景があり、中小企業の町工場では生活は決して安定していなかったそうです。
そのため、両親は「子どもには大学に進学して大企業に入ってほしい」と強く希望しており、母親は特に教育熱心だったといいます。幼い頃から「良い会社に入ることが幸せ」という概念のもとで育った貫さん。兄は警察官になったそうです。
僕もサラリーマンとして長年働いてきたので、親が子どもに安定を望む気持ちはよく分かります。町工場で苦労した両親が、息子たちに同じ思いをさせたくないと願う気持ちは、どの時代も変わらないものですよね。
高卒でトヨタグループに入社
1989年に大阪府立島本高等学校を卒業した貫さんは、そのままトヨタ輸送に入社しました。物流関係の仕事に就き、約10年間サラリーマン生活を送ったそうです。
当時、両親が望んだ「大企業」への就職を果たした貫さんでしたが、27歳の時に人生の大きな転機を迎えることになります。
27歳で飲食業界に飛び込むも失敗の連続

ショットバーを営んでいた頃の貫啓二:ダイニー公式Noteより
未経験でショットバーを開業するも赤字に
1998年、10年間勤めた会社を辞め27歳で脱サラした貫さんは、大阪・心斎橋にショットバーを開業しました。
兄に連帯保証人になってもらい、信用金庫から700万円を借り、200万円の貯金と100万円の退職金を握りしめての船出でした。
しかし、飲食店での実務経験がなかったため、接客や調理は見えていても、締め作業や発注などの裏側業務に苦労したそうです。家賃は月30万円なのに、平日の売上は1日わずか1万5000円。週末だけサークル仲間が来てくれてなんとか月商100万円近くになるものの、自転車操業で自分の給料も出ない状態だったそうです。
「惨敗でした」と当時を振り返る貫さん。明け方に1人で締め作業をしている時は、「独立なんてとんでもない決断をしてしまったかもしれない」と思ったそうです。
デザイナーズレストランもブームが終わり苦境に
そんな苦境の中、友人が連れてきた田中洋江さん(後の串カツ田中副社長)との出会いが転機となります。田中さんは昼間は弁護士事務所で働きながら、バーのメニューを考えたり、スタッフとして料理を作ってくれるようになりました。
ちなみに田中洋江さん、本業をお持ちだったのとお酒が大好きだったことから、なんと貫さんのバーでは時給なし・お酒飲み放題、という条件だったそうです。なかなかユニークな方ですよね(笑)
その後貫さんは、2001年に当時ブームだった大阪の堀江にデザイナーズレストラン「ターン・ザ・テーブル」を開店。デザイナーズレストランは軌道に乗り、オープン半年後には1店舗目のショットバーもデザイナーズレストランに業態変更しました。
しかし、売上はあっても利益が残らない苦しい状況が続きます。近くに新たな飲食店ができたり都心に新施設ができることで、お客さんはブームやトレンドの場所へと流れていってしまったのです。
「数十年食べ継がれるお店」を目指すように
このことをきっかけに、貫さんは「ただブームに乗るだけではダメだ」と気づきます。一時的な流行ではなく、数十年にわたって食べ継がれるお店を目指すように考え方が変わっていったそうです。
僕自身、IT業界で長年働いてきて、「流行の技術」ではなく「本質的な価値」を追求することの大切さを実感してきました。一時的に流行ったプロトコルなどは、せっかく勉強してもすぐに業界標準から外れてしまうんです。
貫啓二さんのこの気づきは、まさに経営者としての大きな転換点だったんだと思います。
東京進出と串カツ田中誕生の奇跡と成功への道

「串カツ田中」創業時の貫啓二(後ろは恐らく田中洋江さん):ダイニー公式Noteより
計画性なく東京で京懐石をオープン
2004年、貫さんは東京の青山で京懐石料理店を開きました。
開店当初こそ開業資金や高額な家賃に苦労しましたが、「東京カレンダー」などのグルメ雑誌で取り上げられて以降、お店はヒットし、順調に見えました。しかし、人手不足もあり2006年には店を手放すことに…
大阪の店舗が倒産の危機に
東京での京懐石経営に注力する陰で、大阪の店舗が経営不振に陥っていました。業態変更も奏功せず、ついに倒産の危機に追い込まれます。貫さんは飲食業から身を引くことを決意し、田中さんに「大阪へ帰ってくれへんか」と宣告しました。
田中さんの父親のレシピが見つかった!
ところが、大阪に戻るため田中さんが引っ越しの準備をしていたところ、A4サイズの4分の1くらいの紙に走り書きされたレシピが見つかったのです。それは田中さんの亡き父・田中勇吉さんがメモしていた、近所の大好きな串カツ屋のレシピでした。
見つかったレシピを見ながら作ってみると、驚くほど美味しい串カツが完成しました。大衆酒場が好きだった貫さんは「東京で串カツと居酒屋を掛け合わせたら流行るかもしれない」と考え、飲食業最後の砦として串カツ屋を開くことを決意したのです。
店舗名は「田中さんの親父の背中を感じるような店にしよう」という想いから「串カツ田中」に決定。これが現在の『串カツ田中』が走り出した瞬間でした。
世田谷1号店が大ヒット!1億円の借金を2年で完済
2008年12月、8000万円の借金を抱えていた貫さんは、さらに金融機関から300万円を借り、最後の一勝負に出ます。
東急世田谷線の松陰神社前駅近くの住宅街にある雑居ビルの1階に、14坪28席、家賃21万円、保証金なしという破格の物件を見つけました。
お金がなかったため、ヤフオクで厨房機器を購入し、テーブルは残されていたものを修理して使用。ホームセンターでパイプ椅子を買い、壁は塗り直し、木札のメニューを掲げました。
こうしてオープンした1号店は、月商300万円を目標にしていたところ、初月の売上が450万円という大成功を収めます。客単価は2400円。初期投資や運営コストが安かったこともあり、300万円の借金は1カ月で返済できました。
翌年春から夏にかけては月商800万円を記録するほど快調で、串カツ田中以前の借金8000万円(合計約1億円)も、わずか1年半ほどで完済したそうです。すごいですよね!
地道な努力を重ねて、最後の勝負で大きく花開いた貫さんの姿勢は、まさに「継続は力なり」を体現していると思います。
東証一部上場までの道のりと「不安経営」という哲学

串カツを手にする貫啓二:日興フロッギーより
2016年に東証マザーズ、2019年に東証一部上場
串カツ田中1号店の成功後、貫さんは直営とフランチャイズの両輪による多店舗展開を急ぎました。
2016年には東証マザーズに上場、2019年には東証一部(現・東証プライム)への市場変更を果たしました。
「いつ事業が破綻するかわからない」という危機感を持ち続ける
上場企業の社長となった今も、貫さんの経営姿勢の基本は「不安経営」だといいます。
「そんなにうまくいくはずがない」
と常に思っており、どのようなリスクがあるのかしっかりと洗い出すようにしているそうです。
なぜそういう考えを持つようになったかというと、串カツ田中にたどり着くまで、うまくいった事業が何一つなかったから。
「たまたま串カツ田中はラッキーで奇跡的だった」
と語る貫さん。だからこそ、常に危機感を持ち続け、改善を怠らない姿勢を貫いているんですね。
貫啓二の現在の活動と今後の展望

成功体験を捨てて「脱・串カツ田中」を掲げる:テレ東公式サイトよr
串カツ田中は全国330店舗超え
2025年現在、串カツ田中の国内店舗数は337店舗にまで拡大。全国に356店舗(2026年9月時点)となり、大阪には2016年時点でわずか2店舗だったところが、2022年現在は15店舗にまで拡大しています。
なお、貫さんは2022年に社長を退いて代表権のある会長に就きましたが、2025年12月に再び社長に復帰しました。
飲食の枠を超えた総合サービス企業を目指す
貫さんが目指す未来は
「1000店舗体制を構築し、串カツ田中の串カツを日本を代表する食文化とすること」
また、冷凍串カツの販路拡大など、店舗内飲食だけでなく、さまざまな形で串カツ田中の味を届けようとしています。
世間の反応やSNSの声

かつて「トヨタクラウン」のCMに出演していたトヨエツ:Oriconニュースより
SNSでは
- 「串カツ田中の社長、トヨエツに似てる!」
- 「かっこいい経営者」
- 「ワイルドで高身長、羨ましい!」
といった声が多く見られます。また、
- 「失敗から這い上がった姿勢が素晴らしい」
- 「不安経営という考え方に共感した」
- 「何度失敗しても前を向くメンタル、見習いたい!」
といった、貫さんの経営哲学に共感する声も多数寄せられています。
まとめ:貫啓二の成功ストーリーは失敗から始まった!

2016年当時の貫啓二社長と田中洋江副社長(当時):FOOD STADIUMより
貫啓二さんについて、この記事で分かったことをまとめます。
- 1971年1月27日生まれ、大阪府三島郡島本町出身の55歳
- 高身長でトヨエツに似ていると話題
- 高校卒業後、トヨタ輸送に入社し、27歳で脱サラ
- ショットバーやデザイナーズレストランで失敗を繰り返す
- 田中さんの父親のレシピとの偶然の出会いから串カツ田中誕生
- 2008年の1号店オープン後、1億円の借金を2年で完済
- 2016年に東証マザーズ、2019年に東証一部上場
- 「不安経営」という哲学で常に危機感を持ち続ける
- 2026年9月25日「ガイアの夜明け」に出演
町工場の両親のもとで育ち、安定を求めてトヨタグループに就職したものの、27歳で飲食業界に飛び込んだ貫さん。何度も失敗を繰り返しながらも、最後の勝負で大逆転を果たしたサクセスストーリーは、本当にドラマチックですよね。
「不安経営」という言葉には、成功しても決しておごらず、常に謙虚に改善を続ける貫さんの姿勢が表れています。
僕自身、長年IT業界で働いてきて、「日々コツコツ」という価値観の大切さを実感していますが、貫さんの生き方にもそれが表れていると感じました。
串カツ田中の新しい情報が入ったら、また追記していきますね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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