『チョーさん』ついに逝く…ミスターはプロ野球を築いた燃える男!長嶋茂雄【訃報】

2025年6月3日(火)早朝、読売ジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしましげお)さんが永眠しました。

肺炎だったそうです。

 

僕にとっては長嶋茂雄さんは『チョーさん』あるいは『ミスター』の愛称が耳に残っています。

小学生のころだったか、アニメ『侍ジャイアンツ』が流行っていて、その中に登場していた長嶋茂雄さんが『チョーさん』だったか『ミスター』だったかと呼ばれていたからだと思います(間違ってたらすみません)。

 

『巨人の星』の頃はまだちょっと小さくてあまり長嶋茂雄さんが何と呼ばれていたか記憶が曖昧です。

…ん〜『ミスター』だったかも知れないですね。

 

日本プロ野球界を救った『チョーさん・ミスタープロ野球』長嶋茂雄

僕が野球をやり始めたのは、何となく『巨人の星』を観ていた、のとやっぱり『侍ジャイアンツ』、その後の『ドカベン』の影響が大きいのですが、

何といっても『ミスター』・『チョーさん』こと長嶋茂雄さんの存在でした。

 

小学生の頃はもうTVで野球を観れば当時は巨人戦ばっかりだったので、もう『ミスター』か『王さん』でしたよね。

プロ野球は昔から人気があったものだと思っていました。

 

ですが大人になってからチョーさん(ミスター)こと長嶋茂雄さんのことを何となくググったりすると、昔はそんなこと無かったんだと出てきます。

 

当時は『大学野球』、とりわけ『東京六大学野球』全盛期で、プロ野球は『職業野球』としてどこか蔑まれていたような節があります。

あの元巨人のピッチャー『江川卓(えがわすぐる)』さんも、六大学野球でいわゆる『早慶戦(早稲田大学対慶應義塾戦)』に出るのが目標だったくらいですし。

 

長嶋茂雄さん/ミスターもその六大学の一角、『立教大学』のスターでしたからね。

そのミスター/チョーさんの大ファンでチョーさんを間近で観たかったために同じ立教に入った方が、あの『徳光アナウンサー』ですよね。

でも徳光さん、六大学野球に出るミスター/チョーさんを観たいがために応援団に入りましたが、応援団員は応援している最中、常にお客さん側を向いていて、全然ミスター/チョーさんを観れなかったと嘆いていました(笑)

 

そんなこんなで野球ファンはもっぱら大学野球に熱中していて、プロ野=『職業野球』は全然人気が無かった時代、

ミスター/チョーさんは『読売ジャイアンツ』に入団します。

長嶋茂雄こと『ミスタージャイアンツ』の誕生ですね。

 

六大学野球でスターだったミスター/チョーさんが職業野球入り、ということで、当時野球ファンも職業野球に注目していきました。

 

1958年に読売ジャイアンツに入団したミスター/チョーさんこと長嶋茂雄さん、なんとルーキー1年目1軍開幕レギュラーですよ。

ところがチョーさん、後楽園球場での開幕戦、国鉄スワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)のエース金田正一(かねだまさいち)さん相手に4打席4三振というスタート

 

長嶋茂雄4打席4三振の新聞記事:Wikipediaより

 

金田正一さんといえば、当時防御率1点台、沢村栄治賞3度目の受賞、などなど日本球界随一の成績を続けていた名投手ですからね。

大学出一年目の若造に負けるわけにはいかなかったでしょう。

そんな金田正一さんもミスターとの初対戦の後「あの小僧、モノになるかもしれない。三振は全部フルスイングだった」と漏らしていたとのことです。

 

そんな良い意味でも悪い意味でも野球ファンに強烈な印象を残したミスター/チョーさん。

その後もミスターはヘルメットを飛ばしてのフルスイング空振り、華麗なグラブ捌き、時になんでもないサードゴロを派手にトンネル、等々、日本プロ野球を盛り上げる立役者となっていきました。

 

数々の伝説を残した『ミスター』・『チョーさん』こと長嶋茂雄

今の若い世代の方々にとっては、ミスター/チョーさん・長嶋茂雄さんは、面白いことを言うオジサン、という印象が強いかも知れません。

「鯖(サバ)は魚へんにブルーですね」とか「決してネバーギブアップしません」、「アメリカの子供は英語がうまいね!」なんかが有名ですね(笑)

 

ですが現役時代のミスター/チョーさんは数々の名場面で記憶に残る活躍をしています。

有名なところでは…

  • 大学出身の選手として初の400本塁打(通算444本)、2000安打(通算2471安打)達成
  • 最多安打10回獲得
  • 首位打者6回獲得(当時セ・リーグ最多記録)
  • 打点王5回
  • 本塁打王2回
  • 昭和天皇の天覧試合での満塁サヨナラホームラン

などなど、他にもホームラン時、一塁ベースの踏み忘れでホームランを取り消され、初のトリプルスリー(打率3割、30ホームラン、30盗塁)を逃す

走者として2塁ベースを回ったところで打球がレフトフライ、あわてて2塁ベースを踏まずに1塁に戻りアウトとなる『伝説の三角ベース走塁』

など、おっちょこちょいなエピソードもあり、これがまたチョーさんこと長嶋茂雄さんが愛される理由なんでしょうね。

ホームラン王、打点王、首位打者、それぞれ獲得していますが、三つ同時の三冠王にはなっていないんですね。

無冠の帝王とも言われていた記憶があります。

 

三振でヘルメットを飛ばすミスター:讀賣新聞オンラインより

 

あの中日の監督も務め、現役時代3度の三冠王に輝いた落合博満(おちあいひろみつ)さんも、ミスター/チョーさんの大ファンとして有名です。

秋田出身の落合さん、よくラジオで巨人戦の中継を聞いていたそうですが、実況を聞いているだけでもミスターが笑顔で生き生きと野球をやっている姿が思い浮かんだ、と語っていました。

ミスター/チョーさんこと長嶋茂雄さんの人気がそのまま日本プロ野球の人気となっていたんですね。

 

『ミスター』・『チョーさん』こと長嶋茂雄まとめ

そんなチョーさんこと長嶋茂雄さんについて見てきました。

  • 日本プロ野球を救った『ミスタープロ野球』:大学野球全盛の時代、職業野球としてあまり人気の無かった日本プロ野球を盛り上げた立役者でした。
  • 数々の伝説を残した『チョーさん』:三振のヘルメット飛ばし、天覧試合でのサヨナラホームラン。かと思えば三角ベース走塁事件、などなど、数々の伝説を残したチョーさんです。

 

ミスター/チョーさんが引退したのは僕が小学生のころでした。

引退試合は10月14日でしたね。

平日のデーゲームで、小学校の授業が終わって速攻で家に帰ってTVを点けて、でももうほぼゲームは終わっていました…

相手(中日)の最後(9回表・ツーアウト)のバッターの時「サード!サード!」と最後のミスターのプレーを期待する声援が響いていた記憶があります。

確かセカンドゴロか、ライトフライか、右方向の打球で終わった気がします…(違っていたらすみません。別のシーンと置き換わっている可能性も…)

その後の長嶋茂雄さんの引退セレモニーまで、全部見ました。

薄暮の中で始まり、終わる頃には暗くなっていましたね…

 

週刊ベースボールオンラインより

 

『我が巨人軍は永久に不滅です!』

これも今では長嶋語録に入っていますが、当時小学生だった僕は全然変に思わなかったですね(笑)

確かに言われてみれば、永久と不滅がかぶっているのですが…

チョーさん・長嶋茂雄さんの記憶は永久に不滅です!

 

チョーさん・ミスタープロ野球・長嶋茂雄さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

ありがとうございました!

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