
今日は日本を代表する世界的デザイナー、森英恵(もりはなえ)さんについてです!
「蝶のデザイナー」「マダム・バタフライ」と呼ばれた森英恵さんですが、その人生は華やかさの裏に、とても力強い努力と決断が詰まっていました。
読みながら、「あ、この感覚わかるな」と共感したり、「そんな選択できるの!?」と驚いたり、きっといろんな感情が湧いてくると思います。
気軽に読んでいただけたらうれしいです。
森英恵プロフィール
森英恵さんは 1926年1月8日、島根県(現在の吉賀町)の生まれ。
のちに世界的デザイナー、日本人で唯一のオートクチュールデザイナーとして活躍し、2022年8月11日、96歳で惜しまれながらお亡くなりになりました。
蝶のモチーフが象徴的で、海外では “Madame Butterfly” (マダム・バタフライ)と呼ばれたことでも知られています。
「世界でこんなに愛される日本人デザイナーがいるんだ」と、あらためて驚かされます。
森英恵の学歴
森英恵さんの高校からの学歴:
- 1938年、創立して間もない東京府立第十一高等女学校(現在の東京都立桜町高等学校)に入学。
- 1943年、東京府立桜町高等女学校を一期生として卒業(入学から卒業まで5年かかっていますが、旧制の学校制度の頃ですし、一期生として卒業とありますので、留年などはしていないはずですよね。そういう学校制度だったのでしょう)。
- 1947年、東京女子大学(Tokyo Woman’s Christian University) を卒業。
戦後すぐの時代に大学を出て結婚する女性は当時まだ珍しかったはずで、森英恵さんは知的で好奇心の強い方だったんだろうな、と想像してしまいます。
森英恵の結婚と家族
大学卒業後、森英恵さんは 森賢(もりけん)さん と結婚します。
森賢さんとは学生時代に勤労動員の工場で知り合ったと言われています。
夫の賢さんは実家の事業である繊維関連の事業に携わり、後に森英恵さんのブランド経営にも深く関わる“ビジネスの支え”として存在していました。
お子さんは 2人の息子さん(森顕、森恵)。
家族への愛情は深く、仕事で多忙な時期でも家庭をとても大切にしていたと語られています。
森英恵 主婦からデザイナーへ
ここが森英恵さんの本当の物語で、いちばん心が動く部分だと思います。
「主婦だけでは物足りない」
結婚後、いわゆる“良妻賢母”として生活し始めた森英恵さんですが、どうも「家におさまるだけでは満足できない」という気持ちが強くなったそうです。
この感覚、正直…わかる気がします。「もっと挑戦したい」「手を動かして何かを生み出したい」って、心の奥でうずく瞬間ってありますよね。
洋裁学校(ドレスメーカー女学院)へ通う決断
そうして森英恵さんが選んだのは、ドレスメーカー女学院(ドレメ)で洋裁を学ぶこと。
しかも本格的に学び、技術を磨き続ける覚悟を決めて通ったといいます。
森英恵さんはお子さんを妊娠中にも、この洋裁学校に通い続けたと言われていますので、その決意は本物だったんですね。
新宿にアトリエ「ひよしや」オープン1951年
森英恵さんはドレスメーカー女学院を卒業後、1951年に新宿で小さなアトリエを開業。
ここから本格的に“デザイナー・森英恵”がスタートしました。

48歳の森英恵:Wikipediaより
このころ森英恵さんは、繊維事業を営む夫・森賢さんの人脈から日本映画の衣装制作を担当するようになりました。1950〜60年代にかけての話だそうです。
映画の衣装って、短い期間で大量に作り、監督の要求に応え、俳優の動きまで考えなければいけない過酷な仕事ですよね。
この時代が、森英恵さんの「技術力・対応力・表現力」を徹底的に鍛えた上げた土台だったと言われています。
森英恵 海外へ——パリとニューヨークでの挑戦
パリで“本物のオートクチュール”に触れる:1961年
森英恵さんが初めてパリを訪れた際、仕立ての現場を体験してオートクチュールの凄さを肌で感じたそうです。
「世界のファッションを自分の目で見る」って、やっぱり人生を変えるんですね。
ニューヨークで初の海外コレクション:1965年
テーマは 「East Meets West(東と西の出会い)」。
日本らしさを美しく表現する森英恵さんの姿勢は、この頃すでに確立されていました。
アジア人として初めてパリのオートクチュール組合へ:1977年
これが本当にすごいです。
森英恵さんはアジア人として初の正式メンバーになるという快挙を成し遂げます。
今でこそ世界で活躍する日本のデザイナーは増えましたが、その“道を開いた人”のひとりが森英恵さんということなんですよね。
森英恵 JAL制服や皇室衣装など手がける
森英恵さんの代表的な功績はざっと挙げるだけでもこれだけあります。
- 日本航空(JAL)の歴代制服をデザイン
- 皇室・雅子皇后陛下(当時、皇太子妃の結婚の義)のローブデコルテ(礼装)のデザインを担当
- 国際的な舞台衣装、映画衣装も多数
名実ともに「日本を代表するデザイナー」でした。さらに、
- 文化勲章(1996年)
- 紫綬褒章(1988年)
- フランス・レジオンドヌール勲章(2002年)
…など数々の栄誉も受けています。
森英恵はなぜ主婦からここまで成功できたのか?
検証した事実を踏まえて、僕なりに考えると……森英恵さんの成功の理由は大きく3つあると思います。
- 学び続ける力:大学、洋裁学校、渡航、実地の映画衣装—— 常に“学ぶ場所”を求めて動き続けていた姿勢が素晴らしいです。
- 家庭と仕事のバランス感覚:家族を大切にしながら、仕事にも本気で向き合った。 メリハリのつけ方、役割の切り替え方は、現代の私たちにも共感できる部分ですよね。
- 国際感覚と行動力:1960年代にパリへ飛び込む勇気。 これは誰でもできることじゃありません。 「自分を信じて一歩踏み出す力」が、森英恵さんを世界へ導いたのだと思います。
森英恵まとめ
というわけで、世界的オートクチュールデザイナー森英恵さんのプロフィール・主婦からデザイナーへ・数々の功績、などを見てきましたが、いかがだったでしょうか?
森英恵さんの人生には、「家庭を大切にしながらも、自分の夢を諦めない」 という強いメッセージが込められているように感じます。
主婦から独学で学び直し、世界のトップまで行った人がいる—— そう考えるだけで、なんだか背中を押されるような気持ちになりますよね。
こんな素晴らしい先人たちの功績を胸に、僕たちも頑張らなければと思います。
今日もありがとうございました!

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