
『THE MANZAI2025』公式再著より
年に一度の漫才最高峰『THE MANZAI 2025』!
44年ぶりにレジェンド・大御所の「ザ・ぼんち」のお二人が出演です!
というわけで、今日はこのザ・ぼんちが1980年代に解散した理由、また2002年に再結成したきっかけやまさかの「大ヒット曲」について、ちょっと見ていきたいと思います!
良かったら最後までお付き合いくださいね!
ザ・ぼんち まずはざっくりプロフィール
ザ・ぼんちは1972年10月に結成された若手(当時笑)漫才コンビ。
ぼんちおさむ(本名:長瀬 修一(ながせ しゅういち))と里見まさと(本名:里 道和(さと みちかず))、同い年(1952年生まれ)の二人は、上方漫才の流れをくむ“掛け合い”で人気を集めました。
結成からしばらくして全国的な露出も増え、レコードヒットやテレビ出演などで一世を風靡します。
- 1972年:結成。上方漫才の伝統に根ざした面白さを持ちつつ、時事ネタや歌ネタも交えて人気を得る。
- 1981年:レコード「恋のぼんちシート」がオリコンで最高2位を記録。漫才師としては異例の大ヒットとなり、当時の勢いを象徴する出来事です。
- 1980年代前半〜中盤:漫才ブームの波に乗りながら活躍するものの、漫才界全体のムード変化や芸の消耗もあって、1986年に一度コンビを解消。
ザ・ぼんち 解散〜再結成の経緯
ザ・ぼんちが解散した理由とは!
1986年にザ・ぼんちは一度解散します。
理由としては、当時の業界の流れ(漫才ブームの終焉)や、ザ・ぼんちのお二人の「燃え尽きた」といった感情、個々のキャリア志向といった複合的事情が報じられています。
漫才ブームの終焉を味わった当時、里見まさとさんは、860万円あった月の収入が7万円にまで落ちこんで、父親の墓石に「助けてくれ」と涙ながらに抱きついたというどん底も味わったと語っています。
解散後、ぼんちおさむさんは『はぐれ刑事純情派』などテレビドラマで長期レギュラーを務める俳優としてドラマ等にも出演し、里見まさとさんは別のコンビで活動(亀山房代さんとのユニット)するといった期間もありました。
漫才師というのは、舞台で燃え尽きることもあれば、別の表現にチャレンジしたくなることもあるんですね(映画監督になった「北野武さん」もいらっしゃいますし…)。
そこが彼らの“人間らしさ”だなあ、と感じます。
ザ・ぼんち再結成のきっかけとは?
そして2002年にザ・ぼんちは再結成を果たします。
再結成には吉本側からの声かけや、互いに「もう一度できるかな」という不安と好奇心、そして若手の熱気に触発された側面があるんじゃないかと。
実際に、
- 吉本興業側の声かけ
- お互いの健康や家庭の状況が整った
- 漫才をもう一度やりたいという個人的欲求
など、複合的要因が報道で語られているんですよね。
里見さんがぼんちおさむさんの家に何度も通って説得した、というエピソードも報道に出ていたり、再結成はスムーズな“勢い”だけで起きたものではないことがうかがえます。
事務所の後押しが大きかったのは間違いないですが、16年というブランクを埋めて再結成して舞台に立つには、本人たちの「やりたい気持ち」と相手への信頼が不可欠だったはずですよね。
再結成後に若手と同じ舞台に立つ意欲を見せている点からも、単なる“復活イベント”ではなく継続的に漫才をやる意図が感じられます。
再結成当時のインタビューや、その後の継続した活動ぶりからそんなことを想像しちゃいますね。
大御所 ザ・ぼんちの弟子は誰?
ザ・ぼんちは“弟子”を取る伝統を大切にし、門下に入った者たちを育ててきました。
代表的な名前として、ジミー大西(芸名ジミー大西/画家・タレントとしても知られる)、吉田ヒロ、チャド・マレーン(旧ジパング上陸作戦のメンバー)、そしてぼんちきよしなどの名前がありますね。
弟子たちはジャンルを超えて活動したり、ザ・ぼんちと同じ舞台で学ぶことで芸を磨いています。
弟子の活躍ぶりを見ると、ザ・ぼんちの“人を育てる力”と人間関係の作り方がうかがえます。
弟子側が師匠をどれほど慕っているかを伝える記事やイベントの様子が複数あるため、単なる「看板貸し」ではなく実務的に指導してきた印象です。
ザ・ぼんちの大ヒット曲!?や第二の人生?
- ザ・ぼんちが人気絶頂だった1981年、「恋のぼんちシート」が大ヒット!(オリコン2位)。漫才師出身としては桁違いの人気を博した出来事で、当時の彼らの知名度を一気に押し上げました。舞台以外での成功が、テレビや映画出演につながったのも興味深い点です。
- ザ・ぼんち2002年の再結成後は、若手中心のライブや学園祭といった場にも積極参加するようになりましたね。自分たちを“大御所”視せずに若手と同じ目線で歩む姿勢が報じられており、世代を超えた交流を大切にしていることが分かります。公演場所に若手中心の劇場を選ぶなど、意思的な活動の選択も話題になりました。
- 近年(2024〜2025年)は、テレビの漫才トーナメント番組や若手と並んでの舞台出場などで再び注目を浴びており、ザ・ぼんちのコンビとしての“第2章”がメディアで取り上げられています。特に2025年の「THE SECOND」でファイナリストとなった時には、彼らが再び脚光を浴びる契機になったと報じられています。
ザ・ぼんち解散と再結成まとめ
- なぜ1986年に解散したのかその理由は?:
漫才ブームの沈静化、芸の消耗、個々のキャリア志向(役者志望など)が重なったため。 当時の業界の変化を述べる記事と当人たちのコメント(「芸の消耗」や仕事の減少を理由に挙げる報道)が存在します。 - なぜ2002年に再結成したのか?そのきっかけは?:
吉本側の声かけが直接のきっかけで、加えて舞台から離れて得た経験(演技や別コンビでの引き出し)が「やれる」と判断させた。記者の取材では吉本の誘いを明言している記事があり、本人たちも再結成当初は「できるかな」と不安だったが、若手の真剣さに触発され続けていったと語っています。つまり「誘い」と「やりがい(モチベーション)」の二軸で説明できます。 - 再結成後に若手と積極的に交わる理由は?:
自分たちの経験を伝える役割(若手育成)、劇場の空気や新規ファン獲得、そして単純に「自分たちも楽しめる場」が理由として挙げられる。若手中心劇場での公演選択や、若手の熱気に感動したという再結成後の当人発言。
ザ・ぼんちの話を調べていると「漫才」という職業の持つエモーショナルな側面がよく見えます。
舞台で笑いを取ることへの貪欲さ、消耗と再生の繰り返し、弟子を取り育てる温かさ——これらが混ざり合って、ただの“昔人気だったコンビ”というだけでは収まらない深みになるんですね。
特にザ・ぼんち再結成後に若手のステージに自ら寄り添う姿勢には好感を覚えます。
年齢を重ねても、誰かのために舞台に立つというのは本当に尊いと思います。
そんなザ・ぼんちのお二人をこれからも応援していこうと思います!
今日もありがとうございました!



コメント