
今回の『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』には、なんとあの【平成の怪物】松坂大輔(まつざかだいすけ)元MLB投手が登場です!
松坂大輔さんと言えば、あの1998年の甲子園決勝戦・史上2度目のノーヒットノーランを達成したことで有名ですよね!
さらに準々決勝では「PL学園」との延長17回の死闘、そして準決勝、「明徳義塾」戦での先発は回避したものの、2点ビハインドの9回表の緊急登板からのサヨナラ勝ち。
そして決勝「京都成章」でのノーヒットノーラン… まさにあの夏の松坂大輔さんは【平成の怪物】そのものでした。
そんな松坂大輔さんの伝説を、ざっくり振り返ってみたいと思います!
良かったら最後までお付き合いくださいね!
平成の怪物・松坂大輔の1998年夏の甲子園
1998年の夏、甲子園が一人の高校生に支配されました。
そう、横浜高校の松坂大輔投手です。
決勝の相手は、京都成章高校。
結果はご存じの通り、59年ぶり史上2度目の決勝でのノーヒットノーラン。いまだに高校野球ファンの語り草ですよね。
でも、ただの「すごい投手だった」では済まないのが松坂大輔投手。
この試合の裏には、いくつもの“人間くさいエピソード”があるんです。
平成の怪物・松坂大輔が目覚めた『あの一球』
強豪横浜高校の決勝戦の相手は京都成章高校。
偏差値で言えば50代後半〜60代後半という私立の進学校です。
京都成章の野球部のメンバーも全員受験で入学したごく普通の高校生。
野球で人生を変えるほどの目標を持った横浜高校ナインとは、その実力差は明白でした。
当時の松坂大輔投手も言葉は悪いですが、「舐めてました」と述懐しています。
準々決勝・準決勝と強豪たちに競り勝ち、松坂大輔投手の心は燃え尽きようとしていたんです。
まさに「挑戦者」の京都成章ナイン、「何かやってやろう」という気持ちだったと言います。
先攻の京都成章1番打者の澤井選手、1球目のストレート見送り、これなら打てる、と直感。
バットを短めににぎり、打席のピッチャー寄りに立ちました。
2球目、試合開始のサイレンが消えかかろうかという瞬間、「キンッ!」澤井選手が強烈な打球を放ちました。
三遊間を抜けようかという痛烈な当たり。「これはヒットだ!」と誰もが思った次の瞬間、前よりに守っていたサード斎藤がグラブに当て、間一髪アウト。
松坂の速球はボテボテのサードゴロが多いため、通常より前で守っていたサード斎藤のファインプレーでした。
(仮に通常の定位置で守っていたら三遊間を抜けたレフト前ヒットだったはずです)
後に松坂大輔投手本人が「あの1球で目が覚めた」と語っています。
疲れが残っていて体が重く、燃えかすのようだった松坂大輔投手。
打たせて取ればいいや、という若干ダレた意識が、京都成章澤井選手にこの当たりを与えたのでした。
1回表の2球目が、松坂大輔の心の中で消え掛かっていた炎を燃え上がらせた瞬間だったんですね。
平成の怪物・松坂大輔の準々決勝:延長17回250球!
決勝までの道のりも伝説的です。
特に準々決勝のPL学園戦は、まさに地獄のような試合、死闘でしたね。
延長17回を松坂大輔投手一人で投げ切ってその球数、250。
普通ならその時点で燃え尽きてもおかしくありません。

1998年第80回夏の甲子園準々決勝 横浜高校×PL学園:Wikipediaより
しかし松坂大輔投手は、翌日も、そしてその次の決勝にも登板。
松坂大輔投手の大会通算の球数は700球台!ともいわれています。
高校生でこれはもう、まさに『平成の怪物』そのものです!
平成の怪物・松坂大輔 自らテーピング剥ぎ取り2点ビハインドの9回に登板!
準決勝の明徳義塾戦もドラマです。
松坂大輔投手は先発は回避し、4番レフトとして出場していました。
0−6と劣勢の8回裏、松坂大輔投手はベンチ横のブルペンで投球練習を開始します。
そしてここで横浜高校はなんと4点を返して2点差へ。
そして9回表。2点のビハインドながらなんと松坂大輔投手、右腕に巻いていたテーピングを自らはぎとってマウンドへ向かいます。
その姿に、2点リードしているはずの明徳ナインが浮き足立っているのを、バックネット裏の記者たちも感じたほどだったそう。
まるで「俺が行く!」という気合そのもの。
しかも3人でピシャリと抑えるあたり、もうほとんど漫画の主人公ですよね。
そしてもう流れは横浜。明徳のミスもあり、ノーアウト満塁から同点、さらにツーアウト満塁からセンター前に落ちるヒットでサヨナラ勝ち!
もう大谷翔平選手並みの漫画状態ですね(笑)

1998年第80回夏の甲子園準決勝 明徳義塾高校×横浜高校:Wikipediaより
平成の怪物・松坂大輔に挑んだ京都成章のエースも実は凄かった!
そして決勝の京都成章との試合に戻ると…
忘れちゃいけないのが、相手チーム・京都成章のエース、古岡基紀投手。
彼も大会を通じてほぼ全試合を完投してるんです。
一人で50イニング以上を投げ抜いたとも報じられています。鉄人ですね!
つまりこの決勝、一見地味なカードに見えましたがその実、「怪物 vs 鉄人」のスタミナ勝負でもあったというわけです。
古岡基紀投手の奮闘があったからこそ、松坂大輔投手のノーヒットノーランがより輝いたとも言えるのではないでしょうか。
最後の1球は、外角低めのスライダー
そして、いよいよ9回の表ツーアウト。
最後の打者・田中勇吾選手を追い込み、松坂大輔投手は外角低めへ渾身のスライダーを投じます。
空振り三振!
松坂大輔投手は後に「ここまで来たら三振で決めてやると思った」と語っています。

1998年第80回夏の甲子園決勝 京都成章高校×横浜高校:Wikipediaより
その瞬間、マウンド上の松坂大輔投手はくるりとナインの方に向きなおり笑顔でガッツポーズ!
──あの笑顔が、今でも焼き付いている人は多いはずです。

ノーヒットノーランを決めた松坂大輔投手:Newsポストセブンより
“平成の怪物”が生まれた日
こうして横浜高校は3対0で京都成章を破り、春夏連覇を達成しました。
松坂大輔投手の決勝でのノーヒットノーランは、実に59年ぶりという快挙です。
松坂大輔投手の伝説は、MLBやWBCに続く「長い物語」の始まり。
でも、その原点は、あの炎天下の甲子園での一球一球にあったんですね。
平成の怪物・松坂大輔まとめ
あの試合をリアルタイムで見ていた人も、後から映像で知った人も、
「これぞ高校野球!」と胸が熱くなったはず。
汗まみれのユニフォーム、マウンドに立つ18歳の背中。
全力で投げて、全力で仲間と笑う―― その姿に、多くの人が何度も勇気をもらいました。
平成の怪物・松坂大輔さん。
彼の伝説は、いまでも“甲子園史上、もっとも美しいノーヒットノーラン”として語り継がれています。
今日もありがとうございました!


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