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【よど号】赤木志郎なぜ56年も平壌に滞在できた?国際手配も逮捕されない理由を調査

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2026年9月、1970年のよど号ハイジャック事件で北朝鮮へ渡った赤木志郎容疑者(78)が平壌で死亡したとの情報が支援者に伝えられました。

亡命から実に56年もの間、国際手配を受けながら逮捕されることなく現地で生活を続けていたことに、多くの人が疑問を抱いています。

この記事では、なぜ赤木容疑者が50年以上も平壌に滞在し続けることができたのか、国際手配されていても逮捕されない理由、よど号事件の概要や支援組織「かりの会」について、詳しく調べてまとめました。

気になる方は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね!


赤木志郎容疑者が56年も平壌に滞在できた理由とは?

赤木志郎容疑者が56年もの長い期間、平壌で生活を続けることができた最大の理由は、北朝鮮が彼らを「政治亡命者」として保護し続けたことにあります。

よど号グループは北朝鮮に到着した当初から、「世界革命を進める同志」として北朝鮮政府から歓迎を受けました。

その後、朝鮮労働党統一戦線部の管理下に置かれ、平壌近郊の「日本革命村」で生活することになります。外貨ショップを経営するなど、北朝鮮国内では比較的裕福な生活を送っていたとされています。

また、日本と北朝鮮の間に国交がないことも大きな要因です。国交がない国同士では、犯罪人の引き渡しや直接的な法執行が極めて困難になります。国際手配はされていても、物理的に逮捕することができなかったんですね。

50年以上も、人生のほぼ全てを異国の地で過ごすというのは、本人にとってどんな気持ちだったのかと考えてしまいます。

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国際手配されていても逮捕されない理由を解説

国際手配を受けていながら、なぜ56年間も逮捕されなかったのでしょうか。その法的な背景を詳しく見ていきましょう。

日本と北朝鮮に犯罪人引き渡し条約がない

日本と北朝鮮の間には、犯罪人引き渡し条約が締結されていません。これが最も大きな理由の一つです。

犯罪人引き渡し条約とは、犯罪者や犯罪容疑者を自国で発見し、相手国から請求があれば引き渡すことを決めた国際条約です。

実は日本は世界でも犯罪人引き渡し条約の締結国が非常に少ない国で、2016年時点で韓国とアメリカの2か国のみと条約を結んでいて、2026年現在もこれは変わっていません。

一方で、フランスは96か国、イギリスは115か国、韓国は25か国と締結しており、日本の少なさが際立っています。そして北朝鮮とは条約どころか国交すらないため、法的に引き渡しを求めることができない状態だったのです。

北朝鮮が「政治亡命者」として庇護していた

北朝鮮は赤木容疑者らを「政治亡命者」として扱い、保護し続けてきました。

よど号グループ自身が公式サイトで語っているところによれば、「朝鮮では政治的亡命者としての待遇を受けています」とのこと。赤軍派として世界革命を目指し、その国際根拠地として北朝鮮を選んだという経緯から、北朝鮮政府は彼らを革命の同志として受け入れたわけです。

政治亡命者として認定された以上、北朝鮮側が自ら日本へ引き渡す可能性はゼロに近いと言えます。むしろ積極的に保護する立場を取り続けました。

国交がないため直接的な法執行ができない

日本と北朝鮮は国交を結んでいません。そのため、日本の警察や司法当局が直接現地で逮捕活動を行うことは不可能です。

国交がある国同士であれば、外交ルートを通じて逮捕・引き渡しの要請ができますが、国交がない場合はその手段すらありません。日本政府は拉致問題などで拉致実行犯の引き渡しを強く要求してきましたが、実現には至っていません。

これは法律や条約の問題というより、国と国との関係性そのものが存在しない状態なんですよね。

僕も会社の仕事で契約関係のない企業とやり取りする難しさを経験したことがありますが、国家レベルになるとその難しさは比較にならないほど大きいと思います。

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よど号事件とは?事件の概要をおさらい

1970年に起きた日本初のハイジャック事件

よど号ハイジャック事件は、1970年3月31日に発生した日本初の大規模ハイジャック事件です。

羽田空港発福岡空港行きの日本航空351便「よど号」(乗員・乗客129人)が、赤軍派メンバー9人によって乗っ取られました。犯人グループは北朝鮮への亡命を目的としていました。

福岡空港では婦人や子供ら23人が解放され、その後韓国の金浦国際空港でも乗客が解放されました。山村新治郎運輸政務次官が人質の身代わりとして同行するという決断もあり、最終的に4月3日に北朝鮮の美林飛行場に到着。犯人グループはそのまま亡命を果たしました。

この事件は当時の日本社会に大きな衝撃を与え、ハイジャック対策の必要性が強く認識されるきっかけとなった出来事でもあります。

赤軍派9人が北朝鮮に亡命した経緯

亡命の背景には、赤軍派の「国際根拠地論」という思想がありました。

当時の赤軍派は、国内での非合法闘争を継続するためには、海外に後方基地(国外亡命基地)が必要であると考えていました。また、幹部の逮捕などで組織が弱体化しており、国外逃亡の必要性も高まっていたのです。

なぜ北朝鮮だったのかについて、よど号グループ自身は「日本政府がもっとも悪く言う国だから私たちにとって一番良いのではと判断しました」と語っています。反体制という立場から、日本政府と対立する国を選んだというわけですね。

正直なところ、若い学生たちが当時どんな理想を抱いていたのか、僕には想像しきれません。ただ、人生を大きく変える決断をしたことだけは確かです。その決断が56年もの長い歳月につながるとは、彼ら自身も予想していなかったのではないでしょうか。

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赤木志郎ってどんな人物?

年齢や生年月日などプロフィール

【赤木志郎 プロフィール】
  • 生年月日:1947年11月4日
  • 死亡日:2026年9月12日(78歳没)
  • 死因:心不全
  • 死亡場所:北朝鮮・平壌の病院
  • 出身大学:大阪市立大学(除籍)
  • よど号事件当時の年齢:22歳
  • 配偶者:赤木恵美子(旧姓:金子)

赤木志郎容疑者は1947年生まれで、よど号事件が起きた1970年にはまだ22歳の若さでした。大阪市立大学に在学していましたが、除籍となっています。

2026年9月12日、平壌の病院で心不全により78歳で死去したと、よど号グループの支援者「かりの会」を通じて日本に伝えられました。亡命から56年、人生の大半を北朝鮮で過ごしたことになります。

よど号グループでの役割や立場

赤木容疑者がグループ内でどのような役割を担っていたかについては、公開情報からは詳細が確認できませんでした。

ただ、よど号グループのリーダーは田宮高麿元容疑者であり、彼が1995年に北朝鮮で死亡した後も、小西隆裕氏が代表を務める形でグループは活動を続けています。

赤木容疑者も他のメンバーと同様に、雑誌発行や単行本出版などの活動に携わっていたと考えられます。

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「かりの会」って何?支援者グループの実態

日本国内でよど号グループを支援していた組織

「かりの会」は、よど号グループの日本への帰国を目指して活動する支援組織です。正式には「『かりの会』帰国支援センター」と呼ばれています。

この組織は、よど号日本人村のウェブサイト運営、Twitter(現X)アカウント「yobo_yodo」の運営、機関紙「かりはゆく」の発行、訪朝団の組織などの支援活動を行っています。

また、今回の赤木容疑者死亡の情報も、この「かりの会」を通じて日本側に伝えられました。

代表は山中幸男氏(77)が務めており、メンバーと日本の間の情報伝達役として機能しているようです。

どんな活動をしていたのか

「かりの会」の主な活動内容は以下の通りです。

  • よど号日本人村の公式サイト運営
  • SNSでの情報発信
  • 機関紙の発行
  • 訪朝団の組織
  • 日本国内での理解と支持を得るための広報活動

よど号グループ側も、「日本政府との合意による帰国の実現を第一の課題」として掲げ、そのための理解と支持を得る活動を続けてきたとしています。

ただし、実際に帰国が実現したのは女性メンバー(いわゆる「よど号妻」)と子供たちのみで、男性メンバーは今も平壌に残っている状況です。

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平壌での生活はどうだった?56年間の滞在実態

結婚や家族生活について

赤木志郎容疑者は、北朝鮮で赤木恵美子さん(旧姓:金子)と結婚しました。彼女はいわゆる「よど号妻」の一人です。

よど号メンバー9人のうち、吉田金太郎を除く8人が1977年までに現地で日本人妻と結婚しています。ただし、日本人妻の北朝鮮入国や結婚の経緯は必ずしも明らかではなく、一部の元妻からは「強制的に結婚させられた」との証言もあります。

メンバー8人と妹を含めた計9人には合計20人の子供がおり、彼らは日本国籍の選択と日本への帰国を希望しました。支援者による戸籍編製手続きを経て、2001年から段階的に帰国が行われ、2009年に全員の帰国が完了しています。

仕事や日常生活の様子

よど号グループは平壌郊外、市の中心部から車で約40分の大同江沿いの山林に、通称「日本革命村」「日本人村」と呼ばれる居住区で生活していました。

3階建ての鉄筋アパート、事務所、客用の宿泊施設、食堂、運動場、畑などが点在し、一時は家族も含めて30人以上が暮らしていたと言われています。動物保護区内にあるため、ノロ、野ウサギ、リス、キジなどの野生動物も多く見られる環境だったそうです。

経済活動としては、北朝鮮政府から手厚い保護を受けて外貨ショップを経営し、比較的裕福な生活を送っていました。また、雑誌『季刊 日本を考える』『使者』や単行本の発行、反米運動などの工作活動も行っていたとされています。

国際電話とメールで日本とつながっており、BS衛星放送とラジオで国内の情報をリアルタイムで得ているとのことです。情報環境は意外にも整っていたようですね。

日本への帰国を望んでいた形跡はあったのか

よど号グループは公式には「日本政府との合意による帰国」を望んでいると主張してきました。

ただし、その条件として「日朝関係の正常化」を挙げており、現実的には非常にハードルが高い要求でした。彼ら自身、「日朝関係が正常化されれば、帰国問題はすぐに解決されます」と語っています。

一方で、メンバーの一人(若林盛亮とされる人物)が2010年に産経新聞の取材に応じた際、1990年頃の北朝鮮について「この国は終わるんじゃないかと思った」と話しており、内心では複雑な思いを抱えていた可能性もあります。

結局、赤木容疑者は帰国することなく、78歳で平壌の病院で亡くなりました。本当に帰りたかったのか、それとも長年の生活で根を下ろしていたのか、真実は本人にしか分からないですよね。僕も長年同じ会社で働いてきて思うのですが、環境に慣れてしまうと、大きな変化を望まなくなる気持ちもよく分かります。

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よど号グループの他のメンバーは今どうしてる?

帰国したメンバーとその後

実は、よど号グループのメンバー本人で日本に帰国したのは2名のみです。

  • 柴田泰弘:タイで身柄拘束された後、日本で裁判を受けて刑が確定。刑期満了で出所しましたが、2011年に病死しました。
  • 田中義三:帰国後に裁判を受け、獄中で2007年に死去(獄死)しました。

帰国したメンバーは逮捕され、強盗傷害や国外移送略取などの容疑で裁判にかけられる運命を辿りました。このため、他のメンバーは「無条件の帰国」には応じず、「政治的解決」を求め続けてきたのです。

まだ平壌に残っているメンバーはいるのか

赤木志郎容疑者の死去により、現在平壌に残っているよど号メンバーは3名となりました。

  • 小西隆裕(代表)
  • 魚本公博
  • 若林盛亮

また、女性2名(よど号妻)も現地に残っているとされています。

メンバー9人のうち、すでに5名が死去しています。

  • 吉田金太郎(1985年病死)
  • 岡本武(1988年死去)
  • 田宮高麿(1995年病死)
  • 田中義三(2007年獄死)
  • 柴田泰弘(2011年病死)

そして今回の赤木志郎(2026年死去)です。

56年という長い歳月の中で、グループのメンバーもどんどん減っていったんですね。残された3名も高齢となっており、今後の動向が注目されます。

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世間の反応やSNSの声

赤木志郎容疑者の死去について、SNS上では様々な反応が見られます。

  • 「56年も国際手配されながら逮捕されないって、国交がないとこんなことになるんだ」
  • 「今さら帰国しても逮捕されるだけだから、結局平壌で生涯を終えたのか」
  • 「若い頃の理想が、こんな結末になるとは思わなかっただろうな」

といった声が多く見られました。また、

  • 「国交正常化がないと犯罪人引き渡しもできない現実を改めて知った」
  • 「拉致問題の解決にも影響する問題だよね」

といった、日朝関係全体に関わるコメントも目立ちます。

僕自身も、ニュースを見て最初は「なぜ50年以上も逮捕できなかったんだろう」と疑問に思いましたが、調べてみると国交や条約の問題が大きく立ちはだかっていることが分かりました。

法律や外交って、本当に複雑なんですよね。

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まとめ:国際手配でも国交がないと逮捕は難しい

赤木志郎容疑者について、この記事で分かったことをまとめます。

  • 2026年9月12日、平壌の病院で心不全により78歳で死去
  • 1970年のよど号ハイジャック事件から56年間、北朝鮮で生活していた
  • 国際手配されながら逮捕されなかった最大の理由は、日本と北朝鮮の間に国交も犯罪人引き渡し条約もないこと
  • 北朝鮮が「政治亡命者」として保護し続けたことも大きい
  • 現地では日本人妻と結婚し、比較的裕福な生活を送っていた
  • 「かりの会」という支援組織が日本国内で活動していた
  • 現在も平壌に残っているメンバーは3名(男性)となった

国際手配という制度があっても、国交がない相手国に対しては事実上無力であるという現実が、この事件から見えてきます。

法律や条約がどれだけ整備されていても、国と国との関係が断絶していれば、実効性を持たないということですね。

よど号事件から半世紀以上が経過し、当時若かったメンバーも次々と高齢化し、亡くなっています。残された3名のメンバーも今後どうなるのか、そして日朝関係がどう動いていくのか、引き続き注視していく必要があるでしょう。

赤木志郎容疑者の新しい情報が入ったら、また追記していきますね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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