今回の『おとなのEテレ タイムマシン』には現在連続テレビ小説で連載中でいよいよ終盤『あんぱん』のモデル、「やなせたかし」さんが登場です!
やなせたかしさんとその妻、小松暢(こまつのぶ)さんはお互いに協力しあい、
仲睦まじく生活していたのは、「あんぱん」でも描かれていたとおりですが、
このお二人には子供がいませんでした。
その理由については「あんぱん」の中でも詳しくは触れられていませんが、
やなせたかしさん・小松暢のお二人はお子さんを望んでいたのか?いなかったのか?
はたまた不妊だったのか?について、ここでちょっと見ていこうと思います。
良かったら最後までお付き合いくださいね!
やなせたかし・小松暢の馴れ初め
連続テレビ小説「あんぱん」では、やなせたかしさんと小松暢さんは知り合いというか、
幼馴染?というか…
「いっけな〜いっ、ちこく、チコク!」と食パンを口に咥えた女の子が路地から走り出てきてイケメンにぶつかるという、お決まりの?ワンシーンがありますが、
そんなのを彷彿とさせる?やなせたかしさんと小松暢さんの出会いでした。
やなせたかしさんが実父亡き後、親戚の開業医を頼って母と高知に引っ越してきたという
経緯は史実もだいたいそんな感じですが、
おそらく、「あんぱん」で描かれたのような出会いは無かったのではないかな?と思います。
小松暢さんが最初の夫と死別(復員後の病死は史実)後、高知新聞社に入社して編集者となります。
戦後すぐのこの時期に女性社員を採用する高知新聞社も進歩的(?って言うんですかね)ですが、
わずかな採用枠に入り込む小松暢さんも優秀という事でしょう。
この小松暢さんの高知新聞社入社の数ヶ月後、やなせたかしさんも高知新聞社に入社、
小松暢さんさんと同じ部署に配属されます。
これが実際のやなせたかしさんと小松暢さんの出会いとされています。
やなせの証言では高知新聞で前の席が小松で、すぐに好きになったという。
小松は「代議士の秘書になる」という理由で退社して上京。その約1年後にそれを追う形で、やなせも東京に上京して結婚した。
Wikipadeaより
「馴れ初め」としてはちょっとあっさりしていますが、
やなせたかしさん、なかなか積極的だったということでしょうかね?(笑)

高知新聞社当時のやなせたかしと小松暢:高知新聞社より
いやなかなか、やなせたかしさんもイケメン、小松暢さんも美人さんですよね!
やなせたかし・小松暢に子供がいなかったのはなぜ?
やなせたかし・小松暢 子供は欲しかった?
地元高知でも男勝(おとこまさり)として名を馳せた小松暢さん、
プロポーズも小松暢さんからと言われています。
スコールが過ぎ去って、遠くで雷が鳴るのを聞きながら、2人で夜の街を歩いていると、小松記者は「もっと雷が鳴ればいい」と言って、小さな声でこう言った。「やなせさんの赤ちゃんが産みたい」
東洋経済Onlineより
これを聞いたやなせたかしさん、ご自身でも奥手・不器用を自認していてもこれにはさすがに
小松暢さんを抱き寄せたと言います。
その後先述のとおり、活動の場を東京に移すべく、小松暢さんが先に、少し遅れてやなせたかしさんも上京します。
この小松暢さんのプロポーズの言葉、それを聞いたやなせたかしさんのリアクション、
どちらを見てもお二人はお子さんを望んでいた、ということがわかりますよね(しみじみ)
やなせたかし・小松暢 子づくりのチャンスが無かった?
さて、子供を望んで結婚したやなせたかしさんと小松暢さん、東京での暮らしはどうだったんでしょう?
戦後間もない東京、空襲の後の住宅難ですから、住む所もなかなかみつからず、
やなせたかしさんと小松暢さんの二人は、小松暢さんの知り合いのご夫婦の子供部屋に居候します。
そのご夫婦は生まれたばかりの赤ちゃんと寝て、やなせたかしさんと小松暢さんは3歳の子供部屋で同居、
その3歳の子供の面倒を見る代わりに家賃はタダ、という事だったそうです。
昼間は二人とも働き、帰ってきたら3歳児の面倒をみて、お風呂に入れて寝かしつける。
その後やっと自分たちの時間ですから、「励む♡」にしても、環境的にも体力的にも時間的にも、
なかなか厳しかったのではないかと想像できますよね?
それでも住むところが有るだけでも幸せだったと、やなせたかしさんは後に述懐しています。
やなせたかし・小松暢 不妊症だった?
では、やなせたかしさんと小松暢さん、不妊症だった?ということはないのでしょうか?
これはどうにも分かりませんよね。
今でこそ、不妊症という診断ができて、不妊治療という選択肢がありますが、時代は昭和20年代。
子供ができないのは女性側が悪い、というだけで不妊に対して何も救済など無かった時代ですからね。
やなせたかしさん、小松暢さんのどちらかがどうだった?なんて今では証明のしようもありません。
ただ戦後すぐの時代ですから、ただでさえデリケートな女性の身体が、戦争という過酷な環境、
十分な食べ物もない低栄養状態で、正常な身体環境を保てたか?という事もありますよね。
「あんぱん」の中でも、やなせたかしさんが「そんなこと、誰のせいでもないよ」
「僕たち夫婦は、これでいいんだよ」と優しく小松暢さんに言ってましたね。
やなせたかしさんと小松暢さんの間にお子さんは恵まれなかった。
でもそれは望まなかった訳でもないし、誰が悪い訳でもない、できなかった、というだけなんですよね。
「僕たち夫婦は、これでいいんだよ」ということですね…
やなせたかし・小松暢 子供いなかったまとめ
というわけで、やなせたしさんと小松暢さんに子供がいなかったのなぜ?ということで見てきましたが、いかがだったでしょうか?
- やなせたかし・小松暢の馴れ初め:最初の馴れ初めこそ、会社で席が近かったから…ですが、その後のプロポーズが小松暢さんからとか、決めたらすぐに上京・やなせたかしさんが追いかけるとか、展開はなかなか劇的ですよね!
- やなせたかし・小松暢に子供がいなかったのはなぜ?:戦後すぐの住宅難で、環境的に難しかったとか、できにくい身体だったとか、想像はできますが… できなかった、という事実と「僕たち夫婦は、これでいいんだよ」というやなせたかしさんの言葉で十分ですね。
まったくの余談ですが、このデパート「三越」の包装紙、
やなせたかしさんが三越に勤めていた時に画家の猪熊弦一郎さんに依頼したものとか。
(今はもう違うものになっていると思っていましたが、紙袋のデザインが違うだけで、包装紙としてはこれが唯一の定番だそうです)

三越の包装紙「華ひらく」:三越公式サイトより
そして「Mitsukoshi」のレタリングがやなせたかしさんの手によるものだとは!
僕は今回初めて知りました…
うちの母が若い頃洋裁をしていまして、ワンピースなどの型をとるのに大きな紙が必要で、
この三越の包装紙の裏を使っていたのを思い出します。
当時(昭和30〜40年代)この包装紙は大人気で、若い女性は三越で買い物をするとみんなこの包装紙を
大事に綺麗に畳んでとっておいたそうです。
なつかしい…
そんなやなせたかしさんの『アンパンマン』、うちの息子も大好きでした。
なんで子供はアンパンマン好きなんでしょうね? ほぼ例外なく大好きですよね。
さすがに息子はもう卒業しましたが…
やなせたかしさん、小松暢さん、そしてアンパンマン、読んで頂いた皆さん、ありがとうございました!
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