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讃岐うどん有名になった理由は寿司屋(京樽)が1970年大阪万博で売ったから?【世界の何だコレ】

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讃岐うどん「生醤油」:Wikipediaより

 

今回の『 世界の何だコレ!?ミステリー』では、あのうどん県(香川県)のご当地名物「讃岐うどん」が全国区になったきっかけが紹介されます!

結論を先に言うと――1970年の大阪万博(いわゆる「日本万国博覧会」)が大きな契機になり、その場で“寿司屋”だった京樽(きょうたる/チェーン)が偶然の事情でうどんを大量に売ったことが、讃岐うどんの認知拡大に効いた、という説明がよく紹介されています。

 

今日はこの「讃岐うどん」は「京樽」が広めた?について、ちょっと見ていこうと思います!

良かったら最後までお付き合いくださいね!

 

讃岐うどんが有名になった1970年大阪万博とは?

最初の大阪万博と言えば、1970年(昭和45年)。

これが「55年前」ですね。

 

大阪で日本初の大規模万博=日本万国博覧会が開催されました。会期は1970年3月〜9月。

当時『EXPO70』として認知され、岡本太郎さんの「太陽の塔」が話題になりましたよね。

 

現在の万博記念公園に移築された「太陽の塔」:朝日新聞より

 

万博の来場者は桁違いで、会期中に数千万人が訪れ、飲食需要はとんでもない規模になったそうです。

そんな“超ビッグイベント”の会場で、「とある寿司店」が香川県・讃岐由来のうどんを提供したことが、初期の「讃岐うどん」全国的注目のきっかけの一つとされています。

 

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讃岐うどんを売った寿司店とは?【京樽】

ここが肝心。「とある寿司屋」として名前が挙がるのは、寿司チェーンの京樽です。

京樽は大阪万博から「和食 寿司 懐石」を販売してほしいという要請があったそうで、万博会場内の中央広場と木曜広場と金曜広場で寿司とうどんを販売したそうですが、予想外にうどんが飛ぶように売れたと当時の関係者が述懐しています。

 

売上の半分近くがうどんになった時期があり、来場者のボリュームに対応する中で、紙の使い捨て容器による寿司販売に支障が出たため、途中で寿司商品の一部を停止した、という内部証言も残っています。

つまり「寿司屋の出店」が結果的に“うどんを大量に提供する機会”になった──というわけです。

 

この話は単なる「うわさ」ではなく、京樽関係者の体験談(インタビューや社史)として残っており、ネットでも紹介されています。

万博という巨大需要の場で、結果的に「讃岐系のうどん」が大量に売られ、多くの人が初めて味わったということが、認知拡大の直接的因子の一つであることはかなり確かです。

 

讃岐うどんはどれくらい売れたの?

資料によれば、万博会期中に“1日あたり最大で約1万人”、総数で約160万食ものうどんが販売されたという記録(ある企業や事業者の報告)があります。

会場に来た膨大な人数に対して提供された数としては、インパクト十分ですよね。

 

こうした大量供給は「食べた人の口コミ」や「都会での話題化」を促し、讃岐うどんの名が全国に広まるきっかけになった、と多くの讃岐うどん史の解説は位置づけています。

 

当時、大阪万博会場でうどん販売を担当した京樽入社2年目の高橋さんはこんな話を残しています。

一杯100~150円のうどんが飛ぶように売れました。メニューはかけうどん、きつねうどん、月見うどん、天ぷらうどんの4種を販売しました。特に夏は開店から閉店まで一日中行列が続き、4店舗で一日うどん4000杯売れた日もありました。

京樽・高橋保男さん談:はなまるうどん公式サイトより

 

 

どうして「寿司屋」がうどんを売ったの?

この『なぜ寿司屋がうどんを!?』の理由は少なくとも次のように整理できます。

  1. 会場の需要と実務上の都合:京樽は当初から寿司類を出す予定で出店していましたが、来場者の食べるスピードや使い捨て容器のゴミ問題など、万博側からの指摘もあり、寿司の大量回転販売は難しかった。そこへ比較的調理・提供がしやすく、温・冷のバリエーションで回転率の良い「うどん」を出すことで対応したという当時の証言があります(寿司の容器ゴミが溢れる問題で寿司販売を一部停止した、ということですね)。
  2. 讃岐側の製麺体制の準備:一方で香川県側でも、機械打ちや包装技術の進歩(さぬき製麺などが賞味期限延長や大量生産のための改良に成功等)で「大量に・衛生的に・安定的に」提供できる体制が生まれつつあったんですね。これが「万博で大量に出しても品質が保てる」状況を作った可能性が高いです。つまり、供給側と需要側の両方の環境が揃って、事態がコチラ側に転がったということなんです。
  3. 偶然が重なった:要するに「寿司屋がうどんをたまたま主力にせざるを得なくなったこと」と「讃岐の製麺業者が大量供給に対応可能になっていたこと」が同時に起きた結果、万博の“体験”が大量の人に届き、口コミ→各地での需要増→出荷・観光増という流れになったということですね。

 

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讃岐うどん販売のエピソード

京樽の社員の回想では、万博期間中「予想外にうどんが売れて、売上の半分がうどんになった」という話があります。

寿司の紙容器の廃棄物が大量に出て問題になり寿司販売を止めたエピソードは、当時の“切羽詰まった現場”の空気を感じさせますよね。

つまり、数十万人/月単位の来場者をさばく実務で、選択と集中が生まれたわけです。

 

製麺会社(さぬき麺業)の記録には、万博が製品評価の場になり「賞味期限の延長や大量生産の工夫が評価された」との記述があり、自社の成長の契機となったとしています。

万博会場での大量販売の実績が、地元讃岐の製麺技術の進歩と流通が前進する糸口になったということなんですね。

 

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讃岐うどんの全国化は大阪万博のおかげ?

では「讃岐うどん」が全国区となったのは大阪万博のおかげ?と言い切ってしまって良いのでしょうか?

  1. 直接的な暴露効果:万博は全国(そして世界)から人が集まる場。会場で食べて「お、旨い」と感じた人が帰宅後に話題にする・メディアが取材する、という波及経路は極めて現実的です。実際、万博後の数年で香川のうどん出荷額が増え、観光客も増えたという経済的な変化が指摘されています。
  2. 偶発性の重要性:京樽のような大規模出店者が“うどん販売”で大当たりしたことは、単なる計画的PR以上に強い拡散力を持つと思います。しかも京樽が“寿司屋”だったという点が話題性を高め、記事や人の話の中で「え、寿司屋が?」という意外性を作ったという気がしますよね。
  3. その他の可能性:もちろん万博だけが全てではないとも思えますよね。たとえば1988年の瀬戸大橋開通など、その後のインフラや観光の変化も重要な波を作り、1990年代・2000年代のブームにつながったのは別の要因(橋、冷凍流通、メディア等)もあります。だから「万博+寿司屋で一気に全国化」は“最初のスイッチ”として強力だった、というのが実情だと考えます。

 

ここでの1・2はとてもインパクトのある事象ですが、やはりこれだけでは無いんですよね。

万博会場の京樽でも「うどん」という看板で、『讃岐』を前面には出してはいなかったらしいですし。

 

もしかしたら、「お?このうどん美味しいな!」と思った来場者が、裏に積まれていた「さぬき製麺」の搬入トレイのロゴなどを見て、「『さぬきうどん』って言ううどんなのかな?」なんて口コミが広がったのかも知れませんよね!

 

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讃岐うどんと大阪万博の京樽まとめ

というわけで、讃岐うどんが有名になったのは寿司店【京樽】が1970年大阪万博で売ったから?について見てきましたが、いかがだったでしょうか?

  • 讃岐うどんが有名になった1970年大阪万博とは?:今から55年前(昭和45年)の日本で初めて開催された大阪での全国博覧会ですね。あの「芸術は爆発だ!」の岡本太郎さん制作の『太陽の塔』が話題になりましたね!
  • 讃岐うどんを売った寿司店とは?【京樽】:東京の寿司チェーン・京樽は大阪万博から「和食 寿司 懐石」を販売してほしいという要請を受けたそうで、寿司とうどんを提供したそうです。
  • 讃岐うどん販売のエピソード:会場内の飲食は好調だったそうですが、寿司の紙容器のゴミが大量に出た関係でうどんに注力せざるを得ず、結果的にうどんが期間内の総数で160万食も売れたという記録もあるそうです。
  • 讃岐うどんの全国化は大阪万博のおかげ?:大阪万博が一つの起爆剤(スイッチ)だった事は確かですが、コレが讃岐うどん全国区化の全てか?というと、そうとも言い切れず、瀬戸大橋の開通や、製麺技術・冷凍技術の進歩、流通の迅速化、メディアの拡散スピード、などなど、いくつもの事象が重なったという見方もあるそうですね。

 

歴史って、いつも「大物の戦略」だけでは動かない。

今回の話はまさにその典型で、巨大イベントの“場の力”と、そこでのスタッフの選択(寿司を減らしてうどんを売る)と、地元の職人や製麺業者の地道な改良が「偶然に」噛み合って、文化が動いた──そんな人間くさいドラマを感じます。

 

料理や食文化の伝播には、マーケティングや観光施策以上に「人の現場の判断」と「タイミング」が効くんだなあとしみじみ。

しかも寿司屋が“うどんを売った”ってエピソード、語りやすくて面白い。話の切り口としても最高です(笑)。

 

歴史を調べていると、こういう“現場の小さな決断”が後の大きな流れにつながっている事例によく出会います。

讃岐うどんの全国化もまさにそれで、万博というビッグステージを活かした偶発的な露出が、今日の「讃岐=うどん」というイメージを作った一因なんだなぁと思いました。

 

今日のお昼ご飯はうどんにしようかな(笑)

ありがとうございました!

 

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