今回の『アド街ック天国』は、先週に引き続き京王線沿線シリーズ!
今日は「百草園(もぐさえん)」駅です。
百草園駅から徒歩約10分のところに、秋は紅葉、春には梅が美しいその名も「百草園」という庭園があります。
この百草園、現在は隣接する一角に百草八幡宮という神社が建っていますが、江戸時代には松連寺というお寺もあったそうです。
そしてさらに平安時代〜鎌倉時代には幻の大寺院がまさにこの百草園に建っていたと言われています。
その大寺院とは、鎌倉幕府の祈祷寺(国家鎮護を祈る寺)『真慈悲寺(しんじひじ)』ではないか?ということなのですが、今日はその真慈悲寺についてちょっと調べてみました。
また同じ頃、鎌倉にも幻の大寺院があった!という話もありましたので、このへんについてもちょっと触れてみたいと思います!
良かったら最後までお付き合いくださいね!
百草園に幻の大寺院があった?【真慈悲寺】
2月・3月には梅まつり、4月・5月は新緑まつり、11月には紅葉まつりと、四季折々の季節が感じられる百草園。
江戸時代、ここ百草園には松連寺(しょうれんじ)が建立され、百草園とともに整備されていましたが、松連寺は明治時代に廃寺、
以降、百草園は地元の商人の所有を経て、現在は京王電鉄に移管されています。
百草園の木々に隠されていた幻の大寺院
そんな百草園ですが、ここに足を踏み入れた方は皆、まるで別世界に入ったような気分になると言います。
実はこの百草園、かつての文人達を魅了した高台の林や季節の花々によって、何百年もの間、大事な秘密を隠していたんですね。
その秘密とは、いままでどこに在るか分からなかった幻のお寺なんです。
吾妻鏡(あづまかがみ:鎌倉時代に成立した歴史書)には、浅草の浅草寺(せんそうじ)と同格であったと推測される、
鎌倉幕府の祈祷寺「真慈悲寺」の存在が記されているのですが、その場所が分かっていなかったそうです。
1989年、百草園のトイレの改修工事をした際に、何やら瓦が大量に(5,000点)出土したそうです。
その瓦を良く調べてみると、なんと中世(鎌倉時代頃)の瓦であることが判明。
鎌倉時代の一般的な屋根は茅葺き屋根であることが普通だったそうです。
瓦ということはよほど重要な建造物がここ百草園に在ったということになります。

百草園から出土した中世の瓦:日野市イベント公式サイトより
さらに調査を進めると、お経を入れて保管する鏡筒も出土、これら瓦や鏡筒は幻の大寺院「真慈悲寺」のものであると分かったわけですね!

百草園から出土した鏡筒:日野市イベント公式サイトより
さらに隣接する百草八幡宮には「銅造阿弥陀如来坐像」が安置されていますが、この阿弥陀如来坐像の背中には銘文が刻まれており、その銘文の中に「真慈悲寺」の文字があるんですね。

銅造阿弥陀如来坐像:日野市イベント公式サイトより
本像はこの真慈悲寺にあったと伝えられていますが、鎌倉幕府滅亡以降、真慈悲寺は資料上に現れなくなり、いつ廃寺になったかも定かではありません。その後、本像は土中より掘り出されたとも言われています。
東京都神社庁公式サイトより
これからもこの阿弥陀如来坐像は、「真慈悲寺」の謎を解く重要な手がかりであり続けそうですね。
幻の大寺院・真慈悲寺が在った百草園へのアクセス
さて、そんな謎とロマンに満ちた真慈悲寺が在った百草園へのアクセスはどんな感じでしょうか?
京王電鉄さんがとても分かりやすいアクセスマップを作ってくれていますね!

百草園アクセス:京王百草園公式サイトより
百草園は広さ的には2.6ヘクタールということなので、東京ドーム(4.7ヘクタール)でいうと半分強という感じですから、
散策するにはちょうど良い感じの広さなのではないでしょうか?
これからの季節にぴったりですね!
百草園の大寺院同様のお寺が鎌倉にも!?【永福寺】
さて今回百草園の幻の大寺院を調べていたら、なんと
- 平安〜鎌倉時代
- 幻の大寺院
- 吾妻鏡
という同じキーワードで、鎌倉の鶴岡八幡宮の近くにも、幻の大寺院があったことが分かりました。
源頼朝は怨霊を恐れて大寺院を作った!?
真慈悲寺の方は、無くなってしまった経緯など不明で現在のところ謎のままなのですが、
こちら鎌倉の幻の大寺院は、1405年に炎上して姿を消した、と明確です。
その名も『永福寺(ようふくじ)』。
建立は源頼朝が征夷大将軍に命ぜられてから2年後の1194年。
その永福寺建立の理由は、真慈悲寺のように「祈祷寺」ではなく、頼朝の個人的な畏れからだったようです。
源頼朝は将軍になる前、弟の義経と、義経を匿った罪で奥州藤原氏を討伐しました。
この討伐は頼朝にとっておそらく本意では無かったのでしょう(ちょっと無理筋?)。
そんなわけで頼朝はこの二人による祟りを恐れたと言われています。
頼朝はこの二人の怨霊を沈めるために永福寺を建立したそうなんですね。
その理由は永福寺の場所と建築様式にあります。
まず永福寺の場所は、頼朝の居住する将軍御所の北東に当たります。
北東の方角と言えば「鬼門」。永福寺で鬼門を封じることで、二人の怨霊が将軍御所に近寄れないようにしたんですね。

永福寺の位置関係:nippon.comより
次に建築様式ですが、永福寺は宇治の「平等院」に酷似した建築様式だったと言われています。
平等院は「極楽浄土」を表現した様式と言われていおり、永福寺もまさに怨霊を極楽浄土に封じ込めるという意味合いであったと考えられています。
永福寺は1405年の焼失以来再建されていませんので、実物を見ることはできませんが、遺構や遺物を元にCGで再現した画像が湘南工科大学で公開されています。

永福寺再現CG画像:nippon.comより
まさに平等院鳳凰堂(10円玉に刻印されている絵)のような外観ですよね!
いやCGってすごい!(笑)
この永福寺跡は現在史跡公演として整備されているようで、園内に何ヶ所かに設置されたQRコードを読み込むと、スマホ上で永福寺の再現CG画像が見られるようです!

永福寺の再現CG画像をスマホで:nippon.comより
鎌倉の幻の大寺院・永福寺跡へのアクセス
永福寺へのアクセスですが、上の「永福寺の位置関係」でだいたい分かっちゃうかもですね(笑)
ただ、JR鎌倉駅から歩くと、2キロちょっとありますので、30分掛からないくらいか?ですかね。
まあ、段葛をぶらぶら歩いて鶴岡八幡宮に行って、そこから10分程度歩くと着くのでは?
という感覚かなぁ…という感じと思います。

鎌倉永福寺跡:Googleマップより
鎌倉駅からバスで直接向かうこともできます。
- 鎌倉駅東口から「大塔宮」行きバスの終点下車/北東方向へ徒歩5分
- 入場無料
- 開場時間:午前9時から午後5時(4月~10月)/午前9時から午後4時半(11月~3月)
百草園の幻の大寺院まとめ
というわけで、百草園(と鎌倉)の幻の大寺院について見てきましたが、いかがだったでしょうか?
- 百草園に幻の大寺院があった?【真慈悲寺】:今は近隣住民や観光客の皆さんの憩いの場となっている庭園が、鎌倉時代に幕府の祈祷寺だったというのはちょっとオドロキですよね。銅造阿弥陀如来坐像は9月に1日だけ公開される日があるようなので、気になる方は要チェックです!
- 百草園の大寺院同様のお寺が鎌倉にも!?【永福寺】:なんと同時期に幻の大寺院が鎌倉にも!ということで、源頼朝が怨霊を恐れて建立したと言われる永福寺。現在は史跡公園となっていて、園内何ヶ所かに設置されたQRコードから、スマホで永福寺の再現CG画像が見られるみたいです!
京王線って、何か味があって良いですよね。都会のローカル線っていう感じでほのぼのします(笑)
高架線にする工事をしているということで、これから京王線沿線がどんな景観になっていくのか予想できませんが、楽しみではあります。
これからも安全運転で頑張って欲しいですね!
今日もありがとうございました!
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